不器用な歩みにこそ

ちょうどこの日、二人の弟子が、
エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、
この一切の出来事について話し合っていた。 (24:13-14)

「一切の出来事」
それはただ出来事を話し合ったのではなく、
悲しみも後悔も、心の嘆きのすべて、
皆の前では話せなかった心に抱えたすべてのことを、
二人きりになって初めて弟子たちは重い口を開き
ぽつりぽつりと水滴が落ちるように語りだす、
互いが自分のことを語り、互いが相手の言葉に耳を傾ける――
そんな不器用な歩みにイエスは付き合って、一緒に歩き始めます。
そのイエスに気づけなくても大丈夫。
これまで聞き流してていたイエスの言葉と思いはいつかきっと、
一人ひとりの人生の危機の中で甦ります。

[PR]
by nazarene100 | 2018-04-08 10:30 | 礼拝説教 | Trackback
トラックバックURL : https://naz100.exblog.jp/tb/26646096
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< 息を吹き返す 立ち上がれない場所でこそ >>