神の思い、子知らず

「コラ! どこ見てんだ!」
その罵声で楽しい家族の時間が凍りつきました。
初詣の参拝客で込み合う中、
私の父にぶつかった若い男が言いがかりをつけてきたのです。
どう見ても私たち家族はまっすぐ歩いていたのですが。
男はそのまま捨て台詞を残して、人ごみの中へ消えていきました。
その間、一言も口を開かなかった父。
「お父さん、どうして怒らないの?
ボクらは悪くないのに、なぜ何も言ってくれないの?」
私は幼い心に抱いた不満と怒りを口に出せずに飲み込みました。

それから長い年月がたち私も親となった今、
あの日の父の思いが少しは分かる気がします。
もし、あそこで父まで怒っていれば、
楽しい家族の時間は完全に台無しになったことでしょう。
父にも言いたいことはあっただろうけど口に出さず、
家族のために屈辱に耐えたのだろうなあと父の思いに気づく時、
今さらながら親の愛がしみじみと染みわたってきます。

どうも私は子どものころから何も変わっていないようです。
昨年もいろいろなことが起こり、
その度に神様に愚痴りたくなる言葉を飲み込みました。
「なぜこんな悲しいことが起こるのか?
どうして神さまは何も言ってくれないのか?」
その間、一言も口を開かなかった神様。
しかしそこには、あの日の父のように神様の思いがありました。

天が地を高く超えているように
わたしの道は あなたたちの道を
わたしの思いは あなたたちの思いを、高く超えている。
(イザヤ書55章9節)

 年が改まっても相変わらずこの世界は
「神様は何をしているのか?」と
愚痴りたくなる悲劇や苦難があります。
そして人は目に見える現実だけで判断し、
「神などいない」とうそぶきます。
しかしそんな罵声を浴びながらも、
私たちのことを一番に思っていてくれる
まことの親である神からの愛はいつだって注がれています。
確かに神様の思いはなかなか分かりません。
しかし今は分からなくても、
振り返れば必ず見えてくる
神様の憐れみ深い思いに信頼しましょう。
いつの日か、その思いに気づき、
すべてが私のためだったと親の愛を
しみじみ味わえる日がきますから、きっと。
まことの親の手を離すことなく、
しっかりと握って歩いていく。
そんな一年にしてみませんか?
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by nazarene100 | 2011-01-01 00:00 | ショートメッセージ | Trackback
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