再会、そして再開 

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イエスは弟子たちに言われた。
「あなたがたは皆わたしにつまずく。『わたしは羊飼いを打つ。
すると、羊は散ってしまう』と書いてあるからだ。
しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」
マルコによる福音書14章 27~28節


 大学に通うためアパートに引越したときのこと、ゴミ捨て場に聖書を見つけました。手に見ると「○○女子大入学記念」との文字が。卒業生が捨てていったのでしょう。
ただで手に入ることと、女子大という響きに惹かれて拾って帰った聖書は、
そのあとしばらく学校の授業で大活躍してくれました。
ところが、そのうちガールフレンドができると邪魔になりました。
「なんで女子大の聖書もっとんの?」と聞かれたらどうしよう。
拾ったと言うのも恥ずかしいし…。
そう悩んだ末、もとのゴミ捨て場に聖書を捨ててきました。


「あなたがたは皆わたしにつまずく。」

イエス・キリストは最後の晩餐の席で弟子たちに語った言葉です。
 聖書の時代から今日に到るまで誰もがキリストに従うことに失敗します。
神を信じることに挫折し、聖書を読むことにつまづいてしまうのです。
順風満帆な日は神に感謝しても、都合が悪く、耐え切れなくなれば、神に別れを告げていきます。
ガールフレンドの視線を気にして聖書を捨てた私なんかとは比べ物にならない
人生の困難や迫害の中で、神に別れを告げ、聖書を捨てざるをえないことがあります。
この挫折を経験しない人は一人もいません。
イエス自らがそれを予告しているのです。
みんな、わたしにつまずきます、と。


しかし同時にイエスは私たちと再び会うことを約束するのです。

「しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」

十字架で殺されるイエスを見捨てて逃げだした弟子たちは、
失意のうちに故郷ガリラヤへ帰っていき、そこで復活したイエスに出会います。
彼らを待っていたイエスの姿は
、挫折や別れ、つまずきが人生の終わりではないことを伝えるものでした。
この再会によって、挫折したはずの弟子たちが再び立ち上がっていくのです。

かつて聖書を捨ててしまった私にも再び聖書を手にし、
再会する日が用意されていました。
ガールフレンドに逃げられて人生のゴミ捨て場にいるような気分で腐っていた日々。
私を待っていたのは他でもない聖書だったのです。
この再会を通して私は知りました。

挫折の果てに神との再会があること、
この再会こそ人生を再開させてくれるのだ、と。
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by nazarene100 | 2010-04-27 00:00 | ショートメッセージ | Trackback
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