苦しみの隣りに

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「苦しみの隣りに」

まことに彼はわれわれの病を負い、
われわれの悲しみをになった。
イザヤ書53 章4節(口語訳)



先日、妻の出産に立ち会った時のこと。
激しい陣痛に苦しむ妻の痛みを和らげようと、
傍らに立って賛美歌を歌うわたし。
次の瞬間、痛みを堪こらえる声と歌声だけが流れる分娩室に、
妻の絶叫にも似た抗議の声が響きました。

 「うるさい!」

こんな非常事態に耳もとで囁ささやかれる歌は
雑音でしかなく、むしろ腰をさすり、手を握り締めて、
励ましの声を掛けた方が良かったようです。
その痛みを経験していないわたしには、
愛する妻の気持ちを汲み取ってあげることができませんでした。
苦しみを理解してもらえなかった彼女の辛さと寂しさを、
あの声音が表していました。

人間がたった一人で大きな苦しみや傷を
抱え込まなければならない時ほど、
辛いものはありません。
しかも誰一人、その悲しみに
理解を示してくれる人がいないとしたら、
その傷は深まるばかりです。
「なぜわたしが?」、
「誰もわたしの苦しみを理解してくれない。」
そんな嘆きはさらにわたしたちを苦悩へと追いやります。
ただ一人、出口の見えないような闇の中で
耐え続けることができるほど、
わたしたちは強い存在ではありません。

イエス・キリストは十字架につけられ、
「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」
という悲痛な叫びをもって息を引き取りました。
その叫びは、いまも一人で苦しみを背負う人の
心の叫びと響き合うものです。
共に苦しむキリストだけが、
困難に投げ込まれた時の
わたしたちの想いを知っています。
人々に裏切られ、見捨てられて
十字架にかかったイエスだからこそ、
孤独な苦しみの嘆きを良くご存じなのです。
ですから、わたしたちは涙に暮れる時も
決して一人ではありません。

どうか忘れないで下さい。
共に苦しみ、共に悲しみを担い、
癒してくださる神があなたの隣にいることを。
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by nazarene100 | 2008-03-01 00:00 | ショートメッセージ | Trackback
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