わたしも痛い

彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ 
彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。イザヤ書 53章 5節



「痛いっ!」
ついにやってしまいました。妻の叫び声に振り返ると、
階段から転がり落ちた息子が、頭から血を流しています。
堰を切った様に泣き出す息子、夢中で駆け寄っていく妻、ただオロオロするだけの私・・・。
幸い、大事には到りませんでしたが、なんとも痛々しい出来事でした。
 あの時、「痛い」と叫んだ妻自身の体は実際には傷ついていません。
かといって嘘をついているわけでもありません。
あの瞬間、どんな母親も同じ叫び声を上げずにはいられないでしょう。
わが子の痛みを自分のものとして、母親も一緒に痛んでいるのです。
縫った傷跡を眺めて「私も痛い」と語る母の言葉にも嘘はないでしょう。

「彼が担ったのはわたしたちの病 彼が負ったのはわたしたちの痛みであった」
イザヤ書 53章 4節
聖書には、私たちと共に痛み、苦しむイエス・キリストの姿があります。
キリストは十字架の上で、私たちの身代わりに打ち砕かれ、傷つきました。
その打たれた傷によって、私たちは癒されたと聖書は教えます。
キリストは人の苦しみを見て、見過ごしたり、オロオロしたりしません。
天の高みから人を見下ろして、「痛いのかい、じゃあ治してあげようか」とも言いません。
わが子の痛みを自分のものとする親のように、私たちに駆け寄り、
私たちの痛みをご自分のものとしてくださるのです。
私も痛い、と語りかけてくるようなキリストの姿は、痛みや苦しみの中で
私たちが孤独ではないことを教えてくれます。
 
私はこれまで何度も、人生という階段から転がり落ちました。
心がポッキリ折れて、癒されるまで随分時間がかかりましたが、
そんな私の傍らに、いつも駆け寄ってくれるキリストがいました。
一緒に痛んでくださる方がいたからこそ、やがて立ち上がることができました。
人生、転ばないに超したことはありません。
でも転んでしまった時は、心行くまで思いっきり泣き叫んでください。
駆け寄ってくださる方と出会う、最大のチャンスなのですから。


久米淳嗣(学園教会)



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by nazarene100 | 2009-11-01 11:11 | ショートメッセージ | Trackback
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