丹波マンガン記念館

京都市街を抜けて、北へ車を走らせること一時間。
長閑な田園風景が広がる京北町の空には雲ひとつなく、私たちの心も足取りも軽い。
静かな山腹で佇む丹波マンガン記念館を訪ねた。
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 マンガンがいかなる鉱石であるかさえ知らなかった私に、館長の李龍植(リ・リョンシク)さんは丁寧に説明してくれた。
d0110057_9581580.jpg第二次世界大戦中、軍事用製鉄のために、鉄の強度を高めるマンガンの需要が急騰する。マンガン採掘のための極端な労働者不足は、強制連行された朝鮮人と被差別部落の人々によって補われることとなった。しかし坑内労働は過酷さを極め、労働者、家族たちの生活は暗澹たるものであった。そして彼らは鉱山で粉塵を多量に吸った当然の結果として、後に塵肺症状を引き起こす。しかしその職業病が、肺結核と診断されたため、彼らを更なる差別と偏見に苦しめることとなった。ここ丹波マンガン鉱山の労働者であった李貞鎬(リ・ジョンホ)さんが、葬られる墓もなく死んでいった同胞のために建てたのがこの丹波マンガン記念館である。

 残念ながら、この記念館は資金難のため、来年五月に閉館する*。1989年の設立準備の頃も、朝鮮人の強制連行や部落民の労働、塵肺の歴史は街のイメージダウンに繋がるとして、町や京都府に求めた補助は断られた。以来、李さん一家は、時と財をすべてささげて営んできたが、公的扶助を一切受けられぬまま、赤字は解消されず閉館の運びとなった。一つの博物館が無くなるという事実以上に、民族差別と部落差別の不幸な歴史と労働者の苦難を忘却し、消し去ろうとする日本の社会を李さんは嘆く。「『忘れてくれ、忘れてくれ』だけではいかんのと違うか、と思うてます。」
 歴史を心に刻み、記憶を語り継いでいく記念館には、鉱山の歴史や証言とともに、標本や資料が多数展示され、山の中には鉱山労働の様子が再現されている。李さんに案内され、私たちは暗い坑内へと向かった。そこで目にした採掘作業の厳しさと労働環境の悪さに、ただただ声を失うばかりであった。


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「写真1・迷路のように延びている狭い坑道。博物館んいするさい坑道は通り易いよう広がられた。」
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「写真2・通称「狸掘り」。体がやっと入れる狭い穴の中を掘り進めて行く。マスクもせずに無防備で彫り続けた労働者たちは粉塵を吸い続けた。」
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「写真3、4・岩盤崩落防止のために丸太を組んでいく。」
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「写真4・掘った鉱石を手押し木馬で運搬するのは女性や子どもの仕事だった。」


暗く、天井の低い鉱山を抜け出た瞬間、目がくらんだ。眩しい陽光に目を細めながら深呼吸をして、空を見上げてみる。相変わらず雲ひとつないが、今は空が重くのしかかってくるのは気のせいだろうか。先ほどまで足取りも軽やかに私が歩いていた道は、鉱山労働者が100キロとも言われる重さマンガンを背負って、駅まで運んだ道だったとは。


背中に担いだのは鉱石だけではない。戦中戦後の苦難の歴史と今なお続く差別と無理解をも彼らは背負い続けている。

イエスは言われた。「あなたたち律法の専門家も不幸だ。
人には背負いきれない重荷を負わせながら、
自分では指一本もその重荷に触れようとしないからだ。
あなたたちは不幸だ。」
ルカによる福音書11章46‐47節

(『日本ナザレン教団 社会委員会報』2008年8月号より転載)

*追記
已む無く閉館となった丹波マンガン記念館ですが、明るいニュースとして再び開館させようという動きが起こったことが伝えられました。
「丹波マンガン記念館再建ページ」

2011年4月の再開館を目指して、再建委員会が結成されて、活動を始めています。
賛助会員や応急工事費の募金を募集していますので、関心をもたれた方は是非ご協力ください。
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by nazarene100 | 2008-08-01 00:00
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